TOP>三重映画さんぽ>衣笠貞之助と『雪之丞変化』 亀山市歴史博物館学芸員 佐々木裕子
京都座週報(衣笠) 映画監督・衣笠貞之助は大正9年(1920)「妹の死」以後約120本の映画を製作している。彼の作品の中で「狂った一頁」、「十字路」、「雪之丞変化」、「地獄門」(カンヌ国際映画祭グランプリ、アカデミー外国語映画賞受賞)は特に評価が高い。
 私が、もし衣笠監督の数ある映画の中で、どれが好きかとたずねられたなら、まず林長二郎(後の長谷川一夫)主演のトーキー作品「雪之丞変化」をあげるだろう。物語の最後には、林長二郎が演じる中村雪之丞という美しい女形が一指ふれず、舞台のからくりを使って見事に敵を裁き、観た後は爽快な気持ちになれる作品である。
 「雪之丞変化」は昭和10年〜11年(1935〜1936)、松竹創立以来の記録的配給収入をもたらした映画である。近年、「雪之丞変化2006」と題して歌舞伎で上演されたように、これまでにもカラー映画やテレビドラマだけでなく、芝居や人形劇※1と形をかえて何度も上演されているのは、「雪之丞変化」が時代を経た今でも大衆に受容れられ得る作品だからではないだろうか。衣笠監督自身も、「雪之丞変化」以降、一流の脚本、俳優、時代など条件の整った映画はないということや、「雪之丞変化」の成功の鍵は林長二郎の雪之丞であり、「俳優として頂点に達しようとしていた林長二郎、ちょうどその時代にこの映画がぴったりあった」※2と記している。
 当時の日本映画は、新聞や婦人雑誌など原作が連載中に同時発表の形で映画化されるため、時には原作連載よりも映画の脚本が先行することもあった。『京都座週報』(亀山市歴史博物館蔵)にもあるように、衣笠監督は当時39才ですでに「巨匠」と呼ばれていたが、「雪之丞変化」製作当初は、朝日新聞に連載中のこの話が一体どう展開してゆくかという不安があり、また林長二郎が歌舞伎の女形役者をやるというイメージがしっかりと定着してこないもどかしさがあった。しかし、衣笠監督がテストのスチール撮影のために林長二郎に、衣笠監督自身が女形時代に使用した化粧をし、鬘をかぶった姿をみて、これならいけると思い、気持ちが動いたという。
 衣笠監督は「雪之丞変化」について、「わたしにとっても、林長二郎にとっても、記念すべき作品となった」と記しており※2、スター俳優・林長二郎と巨匠・衣笠貞之助にとって非常に重要な作品だということがわかる。
 また、衣笠貞之助の映画人生にとって、林長二郎はなくてはならないスター俳優だった。トーキー時代について書かれた、「可能性に富んだ林長二郎という素材を預けられたということが、逆に、わたしにとっては、ひとつの運命ではなかったかと。もし、林長二郎がいなかったら、それからのわたしの映画は、ちがった途をとっていたかもしれない」※2という言葉からも、単に仕事上のことだけではなく、より深いつながりがうかがえるのである。


※1「衣笠貞之助先生との日々」麻生芳伸著(『紙の魚』所収。紅ファクトリー、昭和57年6月23日発行)。辻村寿三郎(旧名:辻村ジュサブロー)から「雪之丞変化」の人形芝居公演の企画があり、その製作過程について書かれている。
※2『わが映画の青春―日本映画史の一側面―』(衣笠貞之助著。中央公論社、昭和52年12月20日発行)

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