TOP>三重映画さんぽ>「異色の映画監督 黒木和雄」 林 久登
第2回三重映画フェスティバルに来場された黒木和雄監督(右)と筆者(左) 異色の映画監督黒木和雄が亡くなってから、早いもので、もう4年になる。その一年前「父と暮らせば」の上映で三重県に招き、私がトークでお付き合いをしたばかりだった。
 黒木監督の出身地は宮崎県となっているが、生まれは母の実家があった松阪である。幼い頃、よく母の実家に帰った記憶があり、「松阪は私のもうひとつの故郷である」と本人は言っている。また、四日市出身の映画監督故藤田敏八とは親交があり、彼の初期の作品に友情出演しているほか、「祭りの準備」の映画化については2人が立候補し黒木が譲り受けている。
 黒木監督は大手映画会社を蹴って、独立プロの道を選択した剛腕監督のイメージがあった。しかし会ってみると、イメージと全く違う、偉ぶらず人の話をよく聞く紳士だった。独立プロという世界は企画から資金調達、配給すべて自前でやらなければならない厳しいところと聞いていたが、本人はたいしたことをしてきたとは思っていないのである。
 彼は「僕は仲間から『腹の黒木』と呼ばれているんですよ」と自嘲気味に言う。なるほど言い得て妙で、仲間はきっとそのギャップをハラクロキと揶揄したのだろう。そういう苦労を見せない、感じさせない人なのだ。
 私と黒木作品との出会いは「竜馬暗殺」(1974年)である。今、竜馬は、NHKのTV「龍馬伝」でも話題になっているが、あれが史実とは思えない。高い志を持った歴史上のヒーローも、一皮向けばドジで女好きな男であったという“黒木竜馬”を見て、その型破りな映像に息を呑んだものだ。彼は「普遍的な人間の姿は、人間の持っている負の部分を見つめずして描けない。市井のそんな人たちの日常をすくいあげたい」と言っている。その考えは黒木の全作品に流れていて、独自のリアリズムに貫かれている。
 彼の残した作品群は大きく分けて2つの世界がある。前期の猥雑でアナーキーな作品「竜馬暗殺」「浪人街」(90)「スリ」(2000)などから、銃後の庶民の日常生活を通して戦争の悲惨さを描いた後期の「美しい夏キリシマ」(02)「父と暮らせば」(04)「紙屋悦子の青春」(06)などの静謐な作品群だ。
 「美しい夏キリシマ」(03年キネマ旬報ベストワン作品)を撮るきっかけになったのは、彼自身が戦時下の学徒動員工場で被弾した友を見捨てたことにある。「個人的には嫌な思い出を描きたくないという葛藤があったが、しかしそれでは映画人としていけないと決心した」と言っている。彼は初期の頃、裸の人間のぶつかり合う無頼派作品を縦横無尽に撮っていたので、私など後期の作品に違和感を持っていたが、彼はこの戦争リクイエム映画をいつか撮らねばならないという思いを持っていたようだ。
 黒木監督の残した言葉「映画は全部幻想なんだけど、人生をそっくり表現できる素晴らしい表現形式だ」。
 もう少し生きて念願だった『山中貞雄伝』を撮って欲しかった。

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