TOP>三重映画さんぽ>小津安二郎が残していったもの〜日本の美・心 池村 英子
 生誕107年を迎えた現在も依然小津人気は止まらない。日本文化を知る上で「貴重な資料」と、ますます関心が高まってきている様子。今や世界の小津となった。映像だけではなく多方面において注目を集めているという。
 脚本、構図、編集、撮影、小道具、色彩感覚、音楽、細部までこだわった美的センスで、丁寧に丁寧に時間をかけて小津はただひたすらに日本を、日本人を描いた。どこにでも有りそうな家庭の出来事を、風景を淡々と描き続けた。シンプルに緩やかに、一歩引いたその静謐な小津の世界を、禅の世界、水墨画の世界、能の世界…と人は言う。一枚の絵のように、どんな場面であっても静かに映像は流れる。主体はあくまでも観客にと、押しつけず客観性を持たせて作られている。
 壁にかけられた絵、置物など、脇役ながらも本物の小道具たちが、場面を引き立たせる。着物も上質のものを、役柄や役者に合わせてぴたりと合わせる。小津はそれぞれの俳優のもつ特性を活かして余分な演技は削ぎ落とす。子供は子供らしく伸び伸びと、あくまでも自然な演技を大切にした。
 ストーリーはきれいごとではなく、それぞれの家族の持つ問題を、家族の崩壊の様子をも静かに描いていく。しかしその中に人情や人の温かさもさりげなくきらりと光る。
 日本には『侘び』『寂び』という美意識があるが、小津映画は日本の美そのものであると思う。仕事はあくまでも厳しく丁寧に納得がいくまで何度もやり直し、本物を追求した職人気質の監督であった。ところが一歩仕事を離れれば、江戸っ子風の、照れ屋。優しさを隠そうと毒舌で、面倒見のよい親分気質だった。

 周りの人を大切にした事も有名だ。宇治山田中学の同級生の井阪栄一さんの家にはよく寄られ『東京物語』の中にも名前が使われたという。吉田与蔵さんも『父ありき』で名前を使われたそう。『出来ごころ』の喜八の名前は伊勢にある「喜八屋」(伊勢うどん)からと聞く。小津は仲の良い友達や周りの人やゆかりの店や食べ物を映画に使って、親しみを込めた。
 伊勢市で「二軒茶屋餅」を開いてみえる鈴木宗一郎さんは、小津が同窓会で大安旅館に泊まられた日の事を懐かしそうに話された。旅館のおいしい味噌汁が二軒茶屋餅で製造されている味噌と知ると「山中当時、よく二軒茶屋餅へ食べに行った。懐かしいから買いに行きたい」と、わざわざ古市から歩いて味噌を買いにみえたとか。鈴木さんは、その時大きな身体で店に入ってみえた様子を今でもしっかりと覚えているという。

 時を経て月日は流れても、仕事をともにした俳優・女優・関係者らから、未だに尊敬の念を抱かれて、惜しまれる…そんな映画監督が他にみえるだろうか。
 女優の高峰秀子さんは、子役時代『東京の合唱』他に出演し26歳の時に『宗方姉妹』で久しぶりに小津監督と再会する。「今までに生きてきた上で途方も無く立派で美しい風貌の男性」とし、そして「私の思い込みかもしれないけれど、先生は人間の全てを浄化凝縮し、品格と清廉、そして静寂な能の世界を映画に表現したかったのでは…それは先生の人格そのものであった」と、その後亡くなられるまでの10年間のおつきあいを振り返られた。正直で利発な高峰さんの言葉から、小津は相当素敵な方だったと想像する。(高峰さんは早くに女優業を引退され、現在は静かに美しく歳を重ねられている)
 亡き飯高オーヅ会の会長柳瀬才治さんは、たった1年の飯高での代用教員時代の小津の印象が忘れられず、顕彰活動を始められた方だった。「楽しくてユーモアがあり、とても面倒見のよい先生であった」と熱く語り、半生を小津に捧げられた。又小津のファンは、全国小津安二郎ネットワーク、飯高オーヅ会…、小津のゆかりの地を中心にファンが今も尚、顕彰活動を行なっている。全国小津安二郎ネットワークの長谷川武雄さんは、深川の生き字引のように小津のことを話してくれる。
 2003年には私たちの「三重映画フェティバル」も発足し、たくさんの小津映画を上映し多くの方に喜んで頂いた。その後も活動は続いている。
 アナウンサーの桐谷エリザベスさんは「小津映画」の印象に憬れてアメリカから来日した。現実の日本の変貌ぶりに、がっかりされたとか…。しかしその後、日本人と結婚され、東京の谷中(古い日本の風景がまだ少し残っている所)に住んで日本の生活を楽しんで素晴らしい文化活動を広げてみえる。世界中で小津映画の影響を受けた人、小津映画が好きな人、小津映画の笠智衆が好きだとか、原節子が好きだとか…そのファンは数知れない。

 こうして振り返ると、日本人にとって忘れかけている日本の心が小津映画なのかもしれない。温かくて、優しくて、それでちょっと正義感が強くて、親分気取りで、そんな面倒見のよい小津監督は、以前までは当たり前のように居た日本人気質なのだろう。一昔前ならば、喜八の様に、義理人情、情にもろい人は結構いたように思う。『戸田家の兄妹』の親孝行の次男は、おそらく小津自身がモデルだろう。
 やんちゃな子供は、小津の幼いときや、飯高での体験、周りの子どもたち……そう考えると、もっともっと知りたい事が有る。そんな小津は青年期の10年を三重の地で生活した。遊び場所だったという松阪市の松阪城跡や鈴屋、伊勢市の宇治山田中学校周辺やボート部の艇庫跡地など、ゆかりの地から映画の場面や小津の思い出の接点に出会えるかもしれない。

 小津は映画の中にさりげなく周りの人やゆかりの地を登場させて、そっと楽しんだ。そんなさりげない心遣いは日本人の美徳であった。だから私は小津映画に触れる時、日本人であってよかったと心から感じる。
 小津のお父さんは松阪市、お母さんは津市出身、同じ三重県人として、私たちも誇りを持ちたい。小津の残して行ったものは、とてつもなく深くて広くて大きくて大切な心の文化遺産。だから人の心から簡単に消えて行かないのでしょうね。

参考文献 中村博男著『若き日の小津安二郎』
 『伊勢人124号〜小津安二郎を歩く』(伊勢文化舎)
 斉藤明美著『高峰秀子』
 桐谷エリザベス著『不便なことは素敵なこと』

昭和31年3月24日、大安旅館(伊勢市古市)にて開催された旧制宇治山田中学同窓会 昭和31年3月24日、大安旅館(伊勢市古市)にて開催された旧制宇治山田中学同窓会。
(同期生20名のうち小津安二郎は前列左から4番目)
写真提供は二軒茶屋餅会長・鈴木宗一郎氏。
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