TOP>三重映画さんぽ>日露交流の架け橋「おろしや国酔夢譚」 大杉 順
 伊勢の国南若松(現鈴鹿市)の船頭大黒屋光太夫ら17人乗り組みの神昌丸が白子浦から江戸へ向けて出帆したのは、天明2(1782)年であった。途中、遠州灘で遭難、遠くアリューシャン列島に漂着した。ようやくシベリアのイルクーツクにたどり着いたが、帰国の願いに燃える光太夫は、ロシアの都サンクトペテルブルクに向かい、ついに女王エカテリーナ2世に拝謁して帰国の許しを得た。ラックスマンの船によって北海道に帰着したのは寛政4(1792)年で、光太夫、磯吉、小市(根室で死亡)の3人のみであった。彼らは江戸で軟禁生活を送ったが、その見聞は「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」という書となり、光太夫のロシア語は鎖国時代にあって蘭学者から高く評価された。

 この史実に題材を取り、鎖国の壁に抗しひたすら帰国を願う彼らのロシア彷徨と帰還を描いたのが井上靖著「おろしや国酔夢譚」である。極寒のシベリアから古都サンクトペテルブルクまで、広大な国土と厳しい自然環境で知られるロシア全土を舞台にしたこの作品の映画化は、スケールの大きさゆえに多くの困難が予想された。しかし、日露両国関係者の努力により、困難な壁は次々と取りはらわれていった。多くの要人の理解と努力、さらに当時のソ連邦レニングラード撮影所の全面協力により、多数の現地スタッフとの共同作業が可能となった。日本の作家としてロシアでも知名度の高い井上靖の原作であり、そして「敦煌」の監督で有名な佐藤純彌監督の映画化は、当地でも大きな期待と関心を集めた。

 エカテリーナ女王を演じるマリナ・ヴラディが、日本でも有名な歌手で詩人、ヴラジミール・ヴィソツキーの未亡人であることも大きな話題であった。また、200年前のイルクーツク市のオープンセットは、総工費3億円をかけ、1991年からバイカル湖畔にあるリストビアンカに1年がかりで建造された。このセットは、約10万坪の敷地内に、各地に点在する建造物をそのまま解体して移転した本格的なものであった。撮影終了後、現地を訪れたが、ロシア側に寄贈されたこのオープンセットは、その後、博物公園となり市民に愛されている。

 このような全面協力を得て初めて撮影が可能となった貴重な史跡の数々。特にサンクトペテルブルクでは、エルミタージュ美術館はもちろん、エカテリーナ宮殿内でのクライマックスシーンには、当時の建築物、宝物など前例のない特別許可のもと使用され、豪華絢爛たる名場面が数々出現した。

 6月から7月にかけて、サンクトペテルブルクは白夜の季節。夜は11時まで明るく、12時を過ぎても空は青白い余光を残したまま、午前3時には早くも日が昇る。6月半ばからは、ポプラの木々が綿花を飛ばし、白夜の古都は、あたかも雪の舞ったような状態となる。大黒屋光太夫も、これと同じ光景を見たであろうか。1791年、大黒屋光太夫は、女帝エカテリーナ2世に直接帰国を願い出るためサンクトペテルブルクを訪れていたが、その近郊のエカテリーナ宮殿に拝謁できたのが6月末であった。決意と不安を胸に光太夫も白夜の日々を過ごしたに違いない。

 さて、映画のクライマックスともいえる女帝エカテリーナ2世に拝謁するシーンが、ロシア帝国絶頂期のころ絢爛な姿をとどめるエカテリーナ宮殿・王座の間で撮影された。映画のロケーションとしてこの宮殿の中にカメラが入ったのは史上初めてのことで、画期的な撮影となった。200人を上回るエキストラを従えたフランスの女優マリナ・ヴラディ扮する女帝の前で光太夫(緒形拳)が渾身の思いで訴える。「8年の間、ひたすら国に帰ることだけを願って……お慈悲をくださいませ!日本に帰してくださいませ!」。激情のあまりにロシア語がつまり、女帝にわかるはずがない日本語で、すがるように嘆願する俳優・緒形拳の見せ場のシーンである。宮殿で光太夫の話を聞く女帝エカテリーナ2世は、その運命に同情したが、結局、「帰国せよ」の一言は言わない。立ち去る女王に光太夫は抑えきれず大声で嘆願する。この気迫に打たれ女帝エカテリーナ2世はついに帰国の約束をする。

 撮影後、緒形拳が鈴鹿を訪れ、光太夫の墓地(鈴鹿市南若松町)に撮影報告のお墓参りに立ち寄られたことは、私にとって感慨深い記憶となっている。

 映画化(1992年夏完成)には、「敦煌」で大旋風を巻き起こした制作グループによって、構想10年、準備3年の年月が費やされた。制作費45億円の超大作。これが、映画「おろしや国酔夢譚」(制作:大映・電通)である。北海の激浪とたたかい、船と仲間を失った悲しみに耐え、あるときはツンドラの大地に伏せ、あるときは氷雪のシベリア平原を駆けぬけ、風雪の10年を乗り越え不死身のようにふるさとに戻ってきた海の男、大黒屋光太夫。閉ざされた日本に開国の光をあて200年余りを経た国際化の今、よみがえる。

 今日も白子浦はなに一つ変わりなく、美しく海は輝いて、港には井上靖文学碑「大黒屋光太夫・讃」と光太夫のモニュメントが歴史の一ページを語っている。

*2004年4月から2006年3月まで毎日新聞三重県版にて掲載した「三重映画ものがたり」を加筆修正したものです。

露日交流の記念碑 「露日交流の記念碑」
露日交流の歴史の1ページに偉大な足跡を残した大黒屋光太夫と彼の同胞らを讃え、イルクーツク市と鈴鹿市の友好の証とし、また両国民の平和への願いをこめて、1994年11月、イルクーツク市カナザワ通りに記念碑が建立された。
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