TOP>三重映画さんぽ>一身田と時代劇映画の撮影 長谷川 哲也
 津市一身田は浄土真宗高田派の本山・専修寺(せんじゅじ)があり、歴史と生活が重なりあっている町です。

 室町時代の中頃、真慧上人(しんねしょうにん)によって建てられたこの寺は、次第に大きな権力を持つようになりました。そして寺の周囲を450m四方の環濠(かんごう)で囲み、環濠内に寺を核として計画的に町がつくられました。いわゆる寺内町(じないちょう)です。寺内町は浄土真宗勢力が強かった関西一円に点在し、大阪の富田林・久宝寺・貝塚、奈良の今井が有名ですが、三重県では一身田が唯一です。

 毎年、1月9日から16日までの一週間は、お七夜と呼ばれる専修寺の行事「報恩講(ほうおんこう)」が行われ、全国各地から参拝客が訪れます。この時ばかりは、町は賑わいをみせますが、普段は大伽藍と共に静かな時を刻んでいます。

 しかし、この町は、昭和初期から戦後間もない頃にかけて、時代劇映画の撮影が頻繁に行われました。寺町通りでは、騎馬武者や丹下左膳が闊歩したり、大捕物が展開したりしました。また、川源(かわげん)と呼ばれる環濠界隈では、鞍馬天狗と新撰組の立ち回りやエノケン一座の乱闘場面が撮影されました。俳優では、阪東妻三郎、大河内伝次郎、市川右太衛門、長谷川一夫、嵐寛壽郎、榎本健一、田中絹代などなど、監督では、山中貞雄、稲垣浩、冬島泰三など、当時のトップスターや巨匠・名匠と言われた監督が幾度となく訪れています。別表をご覧ください

 一身田は、戦災を免れていたこと、JR一身田駅があり日活・大映・松竹の撮影所があった京都から比較的短時間(2時間程度)で来ることができたこと、専修寺を中心にして末寺が多いこと、長い土塀があったこと、環濠沿いに蔵があったことなどが、撮影条件として適していたと思われます。

 さらに、撮影隊が常宿としていた辰巳屋旅館(現在は廃業)があり、そこのおかみさんが面倒見のいい方で、撮影に使う小物類を調達してあげたり、環濠である毛無川に飛び込んだエノケン一座の人たちに、お腹をこわしてはいけないということで梅干湯を作って飲ましてあげたりと、今でいうフィルムコミッション的な役割を果たしてみえたことも大きな要因であったのかもしれません。

 このようなところは全国的に珍しく、当時、一身田はロケーション銀座として、京都の太秦に次ぐ映画の町だったのかもしれません。

2人の奴(やっこ)を従えて歩く林長二郎演じる青山播磨
高田本山専修寺の山門前での撮影風景(辻敬太郎様・下井弘吉様提供)
2人の奴(やっこ)を従えて歩く林長二郎演じる青山播磨
               〜昭和12年 松竹下加茂作品 『番町皿屋敷』より〜
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