TOP>三重映画さんぽ>四日市周辺映画ロケの歴史 林 久登
 四日市における映画ロケの皮切りは、わかっている範囲では1960年で、戦前から盛んだった南勢地域に比べると随分遅い。風光明媚な伊勢志摩と異なり、とり立てて特徴がない街四日市はロケ舞台としての魅力はなかったようだ。ところが昭和30年代に入り石化産業が驚異的な発展を遂げると、皮肉にも公害を背負った新興都市として目に留まることになる。

 その第1号は、(’60年)なんと当時の日活の売れっ子赤木圭一郎(トニー)主演の『電光石火の男』(拳銃無頼帖)だった。映画は冒頭出所してきたトニーが四日市の組に向かう途中、富田浜海岸を歩くシーンがある。当時はまだ埋立地もなく松林の白浜砂丘が続いてまぶしいくらい美しい。この映画の見せ場は御在所岳山頂におけるトニーと宍戸錠の早撃ちシーンだ。今観ると荒唐無稽なところもあるが、当時は西部劇の華やかな時代、2人のガンさばきが話題になった。又、喫茶店のウェイトレスとして吉永小百合(当時高校生)が出てくる。サユリストには衝撃のキスシーンがあり(と、言っても相手の影に入ってよく見えないが)その時のセリフがふるっている。「男って変ね、赤ん坊みたい・・・」。トニーは日活のエースとして期待されながら翌年撮影現場で事故死している。

’70年に入ると『フーテンの寅』(男はつらいよ)が湯ノ山温泉に来る。ある旅館の美人女将(新珠三千代)に、例によって横恋慕のあげく失恋する寅(渥美清)の物語。公害に苦しむ磯津地区がちょっと出てくる。

’73年になると石原プロの『ザ・ゴキブリ』(ゴキブリ刑事)がやってくる。石化コンビナートの暗部を暴く当時としてはめずらしい社会派の無頼映画だ。霞の緑地公園にあるオーストラリア館前で渡哲也(刑事)と南原宏治(某化学会社重役)が対決し、派手な爆発火災シーンがある。火気に神経質なコンビナートの近くでよく許可が取れたものだ。港近くの現存する老舗料亭「浜松茂」が黒幕の密談場所として使われている。又、津の旧県立医大(塔世橋の近くで現在は県警本部になっているところ)の看板が「三重工業大学」に書換えられて出てくる。こういうところは映画ならではで面白い。スリリングなカーチェイスあり、型破りの暴力シーンあり、監督は三重に馴染みの小谷承靖で、この映画でハードボイルド監督として注目を浴びる。東京での併映が奇しくも四日市出身の映画監督藤田敏八の『修羅雪姫』で2人は実は飲み友達だった。山口百恵と三浦友和の『ホワイトラブ』では藤田がシナリオを書き小谷が監督をしている。

 以外に知られていないのが『ゴジラ』のロケである。いままでのゴジラシリーズ27作品のうち3作品が四日市コンビナートロケだ。ゴジラは海からの上陸が定番であり、コンビナートのような巨大な建物が相手にとって不足はなかったようだ。’64年の『モスラ対ゴジラ』では埋立地(映画では倉田浜干拓地とある)の地中からゴジラが現れる仕掛けになっている。’93年の『ゴジラ対メカゴジラ』では、ゴジラは四日市港の沖合いから現れ、コスモ石油の煙突を薙倒すシーンから始まる。このシリーズも「ゴジラファイナルワー」で打ち止めとなった。

 ’03年になると、地元出身の監督瀬木直貴が市内ロケで撮った『いずれの森か青き海』がある。四日市という街と恐らくはじめて向き合った作品で、多くの市民が参加して賑わった。

*2004年4月から2006年3月まで毎日新聞三重県版にて掲載した「三重映画ものがたり」を加筆修正したものです。

映画「いずれの森か青き海」から
映画「いずれの森か青き海」から
(写真提供:「いずれの森か青き海」製作上映委員会)
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