TOP>三重映画さんぽ>田村泰次郎『春婦伝』と谷口千吉『暁の脱走』 尾西 康充
 谷口千吉監督の『暁の脱走』(1950年、新東宝)は、三重県四日市出身の作家田村泰次郎の小説『春婦伝』が原作である。新東宝は第2次東宝争議のさなか、経営側にも労組側にも与しないグループが中心となって1948年に設立した映画会社であった。東宝から移籍した黒澤明も谷口とともに『暁の脱走』の脚本を手がけているが、GHQの検閲を受ける過程で、脚本を降りてしまった。

 中国戦線における一兵士と朝鮮人慰安婦との愛情を描いた田村の『春婦伝』は元々、雑誌「日本小説」(1947年、大地書房)に掲載される予定であったが、GHQによる検閲を受けて削除された。ゲラ刷りに添付されていた検閲調書には「Criticism of Koreans」と書かれ、韓国朝鮮人に対する差別を助長する恐れのあることが検閲官によって指摘されていた。結局、検閲部分の削除されたものが単行本『春婦伝』(1947年、銀座書房)として出版されることになった。

 『暁の脱走』の制作に際しても、GHQの検閲を通過させるために8回に及ぶ改稿が余儀なくされた。不許可になったために黒澤が脚本を降りたという第3稿には、演出意図として「日本の一兵士が、最後まで忠実な軍人であったにも拘はらず、如何に残忍な殺され方をしなければならなかったか、そして一人の賎しい女がその兵隊にかけた愛情が、日本軍隊がその兵隊に酬いた愛情よりも、貧しいがしかしいかに羨ましいものであったかを、対比的に描いて行きたい。そして日本の遅れた人達―過去の軍国主義者のそこはかとないノスタルジャを抱いている無批判な人びとに、わづかの反省の資ともなれば幸甚と考へる」というメモが付されていた。しかし結局、李香蘭の演じる春美の慰安婦という設定が多大に「煽情的」であるために「反戦」という映画のテーマから離れてしまうと検閲官から指摘されて、慰安婦から歌手へと変更されることになった。

 映画評論家の四方田犬彦氏によれば、映画製作に当たって「そもそも第一稿の段階で、春美がすでに朝鮮人慰安婦としてではなく、日本人慰安婦として設定された」ことは原作の改変にともなう「重大なる隠蔽」であり、そこからは「おのずから加害者であった日本人の思考の限界」が浮かび上がるという。四方田氏はGHQによる検閲の圧力ばかりを強調するのではなく、制作者が「あらかじめ自主的に行っていた物語の改変」を見過ごしてはならないと主張する。

 田村が所属したのは独立混成第4旅団歩兵第13大隊第3中隊であった。同じ部隊には、三重県出身の兵士が多数含まれており、田村が目撃した戦場の風景は、同郷の兵士たちに共通するものでもあった。過酷な戦場におかれた彼らは何を見て、何を感じていたのだろうか。戦争末期、田村は古年兵として中国大陸に残ることを許されたが、多くの兵士たちは沖縄に移動して、過酷な沖縄戦のなかで戦死した。歩兵第13大隊の兵士で終戦後に復員できたのは総員1060名の内、92名しかいなかった。彼ら自身の口を通して伝えることのできなかった戦場体験は、わずかに田村の作品、そして田村の作品を原作とした『暁の脱走』を通じて理解することができる。戦争が終わって65年を経た今も、彼らが余儀なくされた犠牲を心から悼むと同時に、理不尽な犠牲を強いられたアジア民衆の生命の尊厳を回復させることを忘れてはならないと思う。

*参考文献:四方田犬彦『李香蘭と東アジア』(東京大学出版会、2001年)

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