横山智佐子さん講演会
13時30分定刻より少し早く、一番嬉しそうな校長先生が待切れない様子で挨拶をされ、14名の在校生とそれを上回る数の
報道関係者の拍手で、横山さんが前に出てみえました。「こんにちは」。ニコッと笑い、映画に興味を持ち出した中学生頃
から今に至るまでのお話をゆっくり始められました。
横山さんは中学校ではバレー部、高校ではブラスバンド部とごく普通の学生生活を送っていましたが、12才の頃から映画
が大好きになりその事からまず英語に興味を持ったそうです。語学力を身につけるため名古屋の短大に入学し、とにかく映
画館に通いつめた学生生活でした。その中でも劇場で観たヒッチコック監督のリバイバル作品(古い作品)に感動し、映画
の世界に進む事を確信したそうです。その頃世間では留学ブームだったので、両親に短大を卒業したら留学をしたいとお願
いしましたが断られ「3年間で留学資金を貯めるぞ!」と決心し一般企業に就職して、きっちり3年で貯めたお金を握りしめ
単身渡米を果たしました。横山さんは言います「常に目標を持って生活する事が大切」と。
カルフォルニア州のサンタバーバラ校に入学し、1、2年では英語を含む基礎から学び、3年では友人の自作映画の編集、
4年では自身監督作品の製作と専門学科に進みました。学期と学期の間にたとえ1週間でも休みがあれば、映画会社に「何で
もいいから手伝わせて下さい!」と必死にまわったそうです。フィルムを運んだり、俳優さんの運転手をしたり食事の接待
等、1つ2つこなすうちにその一生懸命さが伝わり逆に声をかけてもらえる様になりました。とにかくこの頃は「お金が無く
なる」という危機感と「アメリカにいられる間にできる事は何でもしよう!」という強い意志が横山さんを動かしたと言い
ます。そしてこの頃の必死さが今の自分に繋がったとも話してくださいました。
アメリカでは日本の様に企業から一斉に社員募集する時期は無く、空いた所に運良く入るしか無いので、日頃のネットワ
ークが大切だそうです。日本とはちょっと意味が違う"コネ"というものです。横山さんの場合、映画会社で手伝いをしてい
た頃の友人が、ネパールで映画「リトル・ブッダ」の撮影をしている事を教えてくれて、自費で現地へ飛び「無給でいいか
ら手伝わせて!」と頼みに行った事が、その後14年アシスタントとして働くきっかけとなりました。
アメリカの映画製作の仕事は、フリーランスと言い映画元に集まって初めて仕事があるのです。監督がエディターを選び、
そのエディターがスタッフを集める。ですからずっと同じ人と仕事をしていく事はほとんど無いそうです。しかし、横山さ
んは「リトル・ブッダ」の仕事に飛び込んだおかげで、編集者ピエトロ・スカリアと出会い、その後15年以上一緒に仕事を
していく事になりました。当時ピエトロは「JFK」で注目を浴び、2作目の「リトル・ブッダ」とこれから忙しくなる矢先に
横山さんと出会ったそうで、横山さんは「本当に運が良かったし、あの時思いきってネパールに行った事も本当に良かった
と思う」と振り返ってみえました。
横山さんは良く質問で、「日本人が海外で仕事をするのは大変じゃないですか?」と聞かれるそうですが、アメリカで仕
事を続けてきて感じる事は、外国人が頑張っている事だそうです。やはり、みんな異文化や人種を乗り越え、強い意志と危
機感を持って必死に頑張っているのです。国内でも同じ事が言えますが、東京や大阪等都会で頑張っている人達のほとんど
は地方出身なのかもしれません。同じく成功の秘訣も良く聞かれるそうで、ハリウッドの成功は以下の3つと言います。
1.継続(一番大事!)
2.運(諦めない事・自分で掴む事、トライせずに悩んでいては掴めない。)
3.才能(20%以下でもいい。後は努力。)
「20%以下の才能」には驚きました。才能は努力して初めて花開く物なのでしょう。
横山さんは常に目標をたててこられました。そしてこれからは「アメリカではどういう事をしているのか」を日本の映画
産業に伝えて行きたいと、学校を始める事になりました。今では、ほとんどのものがデジタル化され簡単に映画製作と触れ
合える事もできる様になりました。しかし35mmフィルムでしかできない事も大切にしていきたいという考えから、講師をし
ながらも常に最新の情報も伝えていける様、現役で仕事も続けられるそうです。
二児の母であり、まだまだ夢に向かって突き進む横山さんの姿と、その話を聞きながら将来に希望を持つ学生さんの背中
を見ながら、はたして自分は危機感を持つほど必死になって頑張った時期はあっただろうかと考えさせられる1時間半でした。
横山さんの益々のご活躍、学生さん達の輝かしい将来をお祈りしたいと思います。
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津高校で講演する横山さん |