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 小津安二郎(1903−1963)

  東京・深川の生まれであるが、父母ともに生粋の三重県人である。
 父とその祖先は、松阪の小津一統であり、母の出自は、一志郡美杉村
 から津へと出てきた家系の人である。小津の父虎之助は、松阪出身の
 豪商・小津与右衛門の大番頭として東京深川で大店をあずかった。
 当然、郷里松阪に本宅を持った人であり、身も心も伊勢松阪の人で
 ある。だから1913年に満9歳で小津が松阪の第二小学校に転校した
 のは、「教育は郷里で」という父親の信条に沿ったもので、まさに帰郷
 したことを意味する。そして三重県立第四中学に入学し、卒業するとき
 には宇治山田中学と名称が変わっていたが、そこでの5年間で、小津
 は人格も勉学も含めての人間形成のほとんどすべてをしたといえる。

  小津の映画に頻繁に描かれる「中学校の同窓会シーン」は、小津に
 とって宇治山田中学時代がいかに想い出深く輝いており懐かしいもの
 であったのかをはっきりと鑑賞者に示している。小津の映画との出会い
 映画への志を持つにいたったのが、松阪での映画鑑賞体験であったこ
 とはいうまでもない。小津の宇治山田中学時代の日記には、映画へ
 傾斜する心情がビビッドに書き込まれている。そして上級学校への受験
 に失敗し、飯南郡宮前小学校(現・飯南郡飯高町)に一年間の代用教員
 生活を送り、その後、小津は映画界で活躍するが、1959年『浮草』
 では大王町で長期ロケを行うため、三重県に帰省している。

  小津監督は、黒澤明と双璧の、日本映画史が生んだ巨人中の巨人
 である。2人は映画界の先輩後輩の関係でもあり、黒澤は小津を「私の
 恩人」として終生敬愛した。映画の世紀といわれる20世紀日本映画の
 傑出した監督は誰か。小津か黒澤か。映画界最初の芸術院会員とな
 った小津こそがと言ったり、世界に名を馳せた黒澤をおいてないと主張
 したりされているが、世紀最後の年の「キネマ旬報」誌で識者、映画評
 論家が投票で選出した結果は黒澤が第1位で、小津は第2位である。
 しかし、黒澤と小津の2人が断然群を抜いてトップ争いをしているので
 あり、第3位以下を大きく引き離している事実を忘れるわけにはいかな
 い。黒澤明に比肩する監督であるにもかかわらず、黒澤が「世界で一番
 有名な日本人」としての名声をほしいままにしているのに対して、小津
 については偉大な業績が、とりわけ日本ではあまり知られていないのが
 実状である。たぶん、派手なアクションのなかに芸術性と鋭い映像的
 感覚を備え持つダイナミックな黒澤映画が一般受けするのに対して、
 地味で静謐な家族映画を作り続け、観客におもねる映画づくりとは無縁
 な小津映画が、多数の映画ファンには理解されにくい面を持っている
 からであろう。だが、黒澤の声価が欧米から逆輸入されてきたように、
 小津の描く、人間の普遍性としての「家族」像のすばらしさも、次第に
 外国から日本へと伝わってきた事実は記憶しておきたい。1963年
 フランス、時の文化相アンドレ・マルローは日本映画に光を当てるべく
 日仏交換映画祭を開催したが、その中に小津作品を10本も入れること
 で彼に光を当てた。1958年のロンドン映画祭では『東京物語』(53)
 がサザーランド賞を受けている。

 【作品】
  ・「生れてはみたけれど」(32)
  ・「晩春」(49)
  ・「麦秋」(51)
  ・「秋刀魚の味」(62)他



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